第二の珍王を松下見林那珂通世は反正天皇とした。反正説の論拠は、その名の瑞歯別の三文字のうち、めでたいの意味をもつ「瑞」を「珍」の字であらわしたものらしいという点にある(瑞歯別の歯ははそのものか。反正天皇は歯が美しかったという。 説はある種の身分)。 戦後、東アジアの古代史にいろいろ新しい見解を発表した前田直典氏はこの通説に異論を投じ、「梁書」(南朝の梁の史書)に「済王の父」としてある弥王は、弥―>珎―>珍というふうに考えれば珍王のことで、珍王は済王(允恭天皇)の父であるから仁徳天皇にあたるという説をたてた。 この説は、しかし、前後の歴史的諸事情との関係から下都合が少なくないので、やはり通説となっている反正天皇がよいであろう。 | 第二の珍王を松下見林那珂通世は反正天皇とした。反正説の論拠は、その名の瑞歯別の三文字のうち、めでたいの意味をもつ「瑞」を「珍」の字であらわしたものらしいという点にある(瑞歯別の歯ははそのものか。反正天皇は歯が美しかったという。 説はある種の身分)。 戦後、東アジアの古代史にいろいろ新しい見解を発表した前田直典氏はこの通説に異論を投じ、「梁書」(南朝の梁の史書)に「済王の父」としてある弥王は、弥―>珎―>珍というふうに考えれば珍王のことで、珍王は済王(允恭天皇)の父であるから仁徳天皇にあたるという説をたてた。 この説は、しかし、前後の歴史的諸事情との関係から下都合が少なくないので、やはり通説となっている反正天皇がよいであろう。 |